2年目


前回の続きです。


年度が明け、保育士2年目は以上児クラスに私はいました。
とある子を主に担当する事になりました。
その子は少し障がいがある子。
2年目の私にはとても荷が重いものでした。
ですが、私なりに保育をしていたんです。
年度末に言われた言葉は、

この1年はただの介護だった

でした。それも職員会議の場で。
もう本当に辞めようと思いました。ほぼ70%決めていました。
ですが、新任として就職させていただいた以上、3年は勤めあげなければと思いあと1年頑張ろうと思ったのです。
あと1年頑張ってみて無理だったら辞めようと決心しました。

1年目の私の動きを見ていて、園長がよくこの子の担当にしたなと今でも思います。
期待も込めての配置だったのかもしれませんが、明らかに無理だとは思わなかったのか不思議です。

私はよく製作物を頼まれる事が多かったんです。運動会で使うお面や発表会で使うバックの絵など。。

運動会の準備中での話をしましょう。
ペンギンのお面を作っていた時の事です。年長組の先生に1つの作業が終わる度にこんな感じでいいですか?と私は逐一報告をしていました。
1つ、見本を作っておけば後はそれを見ながら同じように作ればいいと思ったので。
1つ見本を作り終え、報告にいきました。年長組の先生は見てOKと言ってくださったので残り全部同じように作りました。
全てが完成し、クラス毎に分けていたら
ここをこうしたら良かったのに。
これはこうが良かった。

など後から注文してきたのです。
私は呆れました。私は逐一報告していたのにテキトーに見て返事をしていただけだったんだと。
全て作り終えた後に言われる筋合いはないと思いましたが、私は全部を作り替えました。

理不尽な事や納得出来ない事がたくさんありました。